今回は料理研究家の土井善晴さんが書かれた「一汁一菜でよいという提案」について書いてみたいと思います。
本書は、一文で言うと「一汁一菜という、日本の家庭料理の在り方、実践方法について書かれた本」です。
一汁一菜という言葉は、色々な捉え方(粗食だったり、ダイエット食だったり、健康食だったり)のある言葉ですが、この本で提案されている一汁一菜は「例えばこんな料理の形でも大丈夫なんですよ」、「そんなに頑張らなくてもいいんですよ」と、家庭で毎日料理をするのが辛いと感じている人に向けられた優しいエールです。
土井善晴さんが「こんな形でも大丈夫」と言われる理由として、次のようなことが挙げられています。
食べ飽きないもの、身体が喜ぶもの
一口食べて「おいしい」とすぐに感じるのは、舌先から感じる味に脳がダイレクトに反応しているもので、わかりやすい美味しさの反面、飽き易さにも繋がっています。家庭料理は、毎日作るものです。毎日作るものに「飽きやすいもの」を無理して取り込むと、飽きないようにどんどんと新しいネタを仕入れて来なければならず、それはとても大変です。そして、強い味付けがされている、わかりやすい美味しさは健康とは相性があまりよくありません。
家庭料理は、家族の健康を守り、家族の命を育む食事です。分かりやすい美味しさや、びっくりするような美味しさがなくても(あるいはない方が)、家族の健康に繋がっていると考えられます。穏やかで優しい味は、そのささやかさ故に脳がすぐに気がつかないかもしれませんが、身体はしっかり喜んでいます。おいしい、おいしくないはその時次第でいい、家族が安心して食べることができる料理が、家庭料理の素晴らしい点です。
”ひと手間”の呪縛に惑わされない
「料理はやっぱり”ひと手間”ですよね」と言われることが多いそうですが、その”ひと手間”の意味を「手をかけること」と受け止めてしまわないようにしてください。毎日の料理を作るに当たって、忙しい日もあればゆっくり時間をかけて料理できる日もあります。仕事をしながら料理をしている人にとっては、毎日の料理はそれだけでも大変なことです。その上「手間をかけないと」と感じたり、「手抜きしてしまった」と自分を責めてしまうのは、よくありません。
日本料理には、手をかけて作るものと、手をかけずに作るもの、という二面性があります。これは「ハレ」と「ケ」という日本文化の概念と繋がっています。手をかけて作るものは、ハレの日に作る神様のための料理です。手をかけずに作るものは、ケの日(つまり日常)に人間のために作る料理です。ケの日の料理は、自然の素材を生かしたシンプルな料理です。家庭料理はケの料理。だから、余計な手を加えなくても、汚れを洗い、食べやすく切って、ちゃんと火を通す、それだけでもいいのです。
日本食の本質
和食は、2013年にユネスコにより世界無形文化遺産として認定されました。ユネスコは、和食の何を評価したのでしょうか。ユネスコへの提案された内容は、『自然の尊重』とい う日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習としての和食、つまり「和食をめぐる文化」です。その特徴としては大きく次の4つです。
1:素材の持ち味を尊重する(旬を楽しむ)
2:栄養バランスに優れた健康的な食生活(動物性油脂をあまり使わない)
3:暮らしの行事と共にある(節句のちらし寿司やおせち料理など年中行事との関わり)
4:自然の移ろいを表現する(季節感を楽しむ)
これらは、ずっと日本の家庭料理の中でも育まれてきたものです。暮らしの文化を担い、伝えてきた日本の女性たちの家事は社会的にリスペクトされるべきだ、と土井善晴さんは文中で書いています。家庭料理は、日本料理の本質にあるもの。そして、一汁一菜という一見手抜きのように見えるかもしれない料理の形であっても、その本質は変わりません。
このように家庭料理を毎日作ってくれている人の心に寄り添う内容は、「毎日作るのが辛い」と感じている人に優しく響きます。「和食」という伝統文化を継ぐものとして、誇りを持って台所に立ってもらいたい、そんな土井善晴さんの想いも含まれていると感じました。
本書は、土井善晴さんが和食の中にある伝統思想や縄文文化、大和心など日本人の精神的な側面などにも触れられているのですが、それらは決して章立てに理路整然と書かれているわけではないので、読み方によっては話題が方々に発散してしまっているような印象を受けるかもしれません。
けれど、それは裏を返せば「どこから切り取って読んでも構わない」ということでもあるな、と思います。
そんなことを読書会で本書を紹介する時に言ってみたところ、同じ読書会メンバーの女性から「主婦の話題は、理路整然としたものではなくコロコロと話題が変わっていくものですから、理路整然としていないからこそ、主婦にとっても肌に合うのだと思いますよ」とコメントをいただき、なるほどそうかと膝を打ちました。
土井善晴さんにそういう意図があったのかどうかは分かりませんが、肩肘張らない感じが土井善晴さんに対しての私のイメージと重なるところもあり、合点が行ったのでした。
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文中で、土井善晴さんは以下のように言われていました。印象に残るものだったので引用して紹介します。
家庭料理ではそもそも工夫しすぎないということの方が大切だと思っています。それは、変化の少ない、あまり変わらないところに家族の安心があるからです。そういう意味でも食べ飽きないものを作っているのです。
料理をする行為が純粋である場合には、良き食べ物を作るということが無意識にも含まれているように思います。作り人が食べる人のことを考えている。料理するということは、すでに愛している。食べる人はすでに愛されています。
思いつきの仕事から食文化は生まれません。今、和食は絶滅危惧種だと言われているように、日本の家庭料理は失われる傾向にあります。食文化は日本人の心を作るもので、それはアイデンティティとなり、自信や信頼を生みます。文化は大切にするべきもので、変化には慎重であるべきでしょう。和食として寿司や懐石が残ったとしても、家庭料理を失った食文化は、薄っぺらいものです。家庭料理は人間の力です。
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
参考文献情報
話題の一汁一菜に管理栄養士が感じたこと / 成田崇信
ユネスコ無形文化遺産に 登録された本当の理由 / 熊倉功夫
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