Twitterのタイムラインを見ていて、読書のことを主に取り上げてツイートしている方がしばしば「名刺がわりの10選」というタグとともに個人的にすごく好きだと思う書籍を紹介されているのを見ることがあります。
この「西の魔女が死んだ」という本は、そういう場面でこれまでに何度か目にしてきたので「とても愛されている作品なんだな」と頭の片隅にずっとあったのですが、これまで読んでこなかったのは「ベストセラーだからという理由で買って読むっていうのは、ちょっとミーハーなんじゃないのか」と天邪鬼な考えがあったからなのかもしれません。
なので、自宅の物置を整理している時にこの本が出てきたのを見てすぐに「あ、うちにもあったのか」と気がついていそいそと手に取った自分に気が付いた時、「なぁんだ、結局私はミーハーなんだな」と妙に納得をしてしまった。
そんな経緯で読んだのですが、読んでみてやっぱり良かったです。
タイトルと同じ「西の魔女が死んだ。」から始まるこの物語は、中学生の主人公「まい」とその祖母の物語です。魔女とは、その祖母のことをさしています。
過去、まいは学校に行くことができなくなり、療養を兼ねて1ヶ月あまりの期間を祖母の家で祖母と二人で過ごした過去がありました。祖母の危篤の知らせを受け、母親とまいが祖母の元へと車を走らせながら、祖母と過ごした日のことを思い返していくようにして物語は進みます。
この物語がどうしてあれほどにたくさんの読書好きの方達の気持ちを捉えるのだろう、と考えてみたのですが、それはおそらく、この物語が愛情と希望に満ちていて、それが読む人の心を潤し、暖かくしてくれるからなのだと思います。
「西の魔女が死んだ」というタイトルは、改めて見るととてもインパクトがあります。「魔女」という単語、そして「死んだ」という単語。どちらも元々は少しネガティブな要素を含んだ言葉です。それでも、読後感はそんなネガティブな要素は全くなく、とても穏やかで清々しい心持ちにしてくれるのです。このギャップにも、この作品の魅力があると感じました。
魔女と呼ばれた祖母が最後の最後に見せる魔法も、とても心温まる明るいもので、思わず「おばあちゃん、やるなぁ」と感心してしまいました。その魔法は、見事に死の悲しみを拭い去ってくれました。
この物語の中で感じたメッセージの一つに、「伝えたいことがある時はその時に伝えるようにしたほうがいい。また後からと思っていても、その時が来るとは限らないのだから」というものがありました。
これは、私が40歳を過ぎた頃から割と常に意識の中にあって、私が行動を決める時の判断軸の一つになっているものと同じです。こんな風に大きく共感するポイントが複数あることも、この作品が多くの方に愛される理由なのかもしれません。
最後に、物語の中で個人的にとても印象に残った部分を備忘録も兼ねて引用します。
おばあちゃんは、人には魂っていうものがあると思っています。人は身体と魂が合わさってできています。魂がどこからやって来たのか、おばあちゃんにもよく分かりません。いろいろな説がありますけれど。
ただ、身体は生まれてから死ぬまでのお付き合いですけれど、魂の方はもっと長い旅を続けなければなりません。赤ちゃんとして生まれた新品の身体に宿る、ずっと以前から魂はあり、歳をとって使い古した身体から離れた後も、まだ魂は旅を続けなければなりません。
死ぬ、ということはずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています。きっとどんなにか楽になれてうれしいんじゃないかしら
魂は身体を持つことによってしか物事を体験できないし、体験によってしか、魂は成長できないんですよ。ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。成長の機会が与えられたわけですから
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
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