1957年に発表された安部公房の小説「けものたちは故郷をめざす」を読みました。
終戦前夜、満州国で生まれ育った天涯孤独の少年・久木久三は、南行きの列車が出ることを知って、まだ見ぬ故郷である日本をめざします。けれど彼を待ち受けていたのは、暖かい故郷ではなく、どこまでも続く果てしない荒野でした。
・・・ちくしょう、まるで同じところを、ぐるぐる回っているみたいだな・・・いくら行っても、一歩も荒野から抜け出せない・・・もしかすると、日本なんて、どこにもないのかもしれないな・・・おれが歩くと、荒野も一緒に歩き出す。日本はどんどん逃げていってしまうのだ・・・
そして誰が敵で誰が味方なのかわからないまま、極限の飢えと寒さに震えながら、絶望の中をひたすらに故郷を目指して進む逃避行でした。
この物語では、「境界線」と「囲い」の存在がとても印象的に描かれています。
生と死、敵と味方、人間とけもの、これらの境界線の淵を彷徨いながら、久三はひたすらにまだ見ぬ故郷、日本を目指します。
そうもいくまいさ。ここらはまだ敵と味方の境界線だからな。おれの考えじゃな、なんといっても一番危険なのが境界線さ。そいつは、敵の真ん中よりも、もっと危険なんだ。こいつはまったく・・・おれの経験だがね・・・
その次もその次も、ぜんぶ境界線だ。こういう御時世には、どうしても境界線の幅がひろがってしまうようだな。
こう話すのは、久三に同行する謎の男、高石塔。この男の言う様に、物語が進むにつれて境界線の幅が広がっていき、境目がはっきりとしなくなっていきます。
生と死の境目、敵と味方の境目がわからなくなり、秩序は崩れ、人が住む世界でありながらも人が住むことが約束されていない世界で、ジリジリと心も蝕まれていく感じ、これらが何重にも重なって、読んでいる私も恐怖と閉塞感と絶望感に打ちひしがれてしまいました。
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ところで、この小説はヤマザキマリさんの本「国境のない生き方」と繋がっています。
ヤマザキマリさんは、高校卒業後にイタリアに移り住むのですが、その頃のヤマザキマリさんが最も自分の姿を重ねていたのが、この「けものたちは故郷をめざす」の久木久三でした。
ヤマザキマリさんは、「漠然と生きていると、自分が囲いの中にいることに気がつかなくなってしまう」と言います。安部公房の描いた世界は、囲いの外に出た人間(久木久三)が、どんな地平を彷徨うことになるのか、もがいてももがいてもどこにもたどり着くことができない、容赦のない現実でした。
異国の地に移ったヤマザキマリさんは、自分がどこにも帰属することが見出せず、帰属すべき場所を見失ってしまった人間のように感じていました。そんな時に読んだ安部公房の物語の中に、自分の姿を見たのでした。
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「囲い」の外に出てしまった人間は皆、さすらい続けることになる。
では、「囲い」の中で生きる方が良いのだろうか?と自問してみると、不思議なことになぜか「囲い」の中で生きる方がいいとは思えないのです。
一体なぜそう思うのだろうかと考えて思ったのは、圧倒的絶望感の中にあっても一筋の希望の光を見出そうともがく久木久三の姿でした。もういっそ死んだ方が楽なのに、そう思ってしまいたくなる絶望にあっても、生きる久三の姿からは何か「生きる」ということの本質が見えたような気がしました。
これは本当に、ちょっと不思議な感覚です。「囲い」から出たら、すがるものは何もないかもしれない、そのまま野垂れ死ぬかもしれないのに、それでも「囲い」の外の何かを目指そうとする、その感覚。
かつて縄文人は、小さな小さな船に乗って、はるか海の向こうにある世界を求め、そして南米までたどり着いていた可能性がある、そんな本を以前に読んだことを思い出しました。
はるか昔から、人はずっと「囲い」の外へ出ようとする生き物だったとするなら、もしかしたら人間のDNAには「囲いの外へ出よ」という何か司令のようなものが刻まれているのかも知れません。
「けものたちは故郷をめざす」の中で繰り広げられる物語は、人間の生きる本質、DNAの記憶へと繋がる物語だったのかも、知れません。
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
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