玉手箱
1:浦島伝説で、浦島が竜宮の乙姫から貰い受けたという箱
2:転じて、秘密にして容易に他人に明かさない大切なもの
玉手箱というと、真っ先に思いつくのは1番の方でしょうか。
でも、2番の意味を持つ玉手箱も、きっと誰しもが持っているものですね。
今回紹介する小説のタイトル「港町の玉手箱」にある玉手箱の意味は、二つ目の方です。
玉手箱の中には、一体どんな大切なものが収められているのでしょう。
その玉手箱を開けた時、一体どのようなものが現れるのでしょう。
本の概要とあらすじ
小説「港町の玉手箱」は、いつもブログを通して交流をさせていただいている七迦寧巴さんが書かれた作品です。
物語の主人公は坂井樹里(じゅり)という大学生で、2010年頃の時代背景を想定して書かれています。
樹里は中学の頃、この世のものではない僧侶を見たり、何者かの気配を感じたりと、少し不思議な体験をします。これらの体験から、樹里は自分には何かを伝えようとするものの存在を感じられるのかもしれないと思っています。
高校に入りやがて考古学に興味を持った樹里は、考古学学科のある東京の大学に進学します。東京で始まる新しい生活と、新しい出会い、ダイビングを通じて知る新しい世界、そして時折起こる不思議な体験。
これは樹里が大学生活を送る中で様々な体験や人との出会いから自分の道を探し、歩んでいく成長&恋愛の物語です。
*
小説という特性上、物語の中身をここで話すことはできませんが、樹里の物語を通じて私にもたらされたもの、感じたことについて今回は紹介させていただこうと思います。
この物語が私にもたらしたもの
ダイビングの魅力発見
小笠原諸島でのダイビングの様子が表現されているのですが、とにかくそこでの情景が美しく魅力的でした。
実は、私は海に対して憧れの気持ちと恐れる気持ちとの両方を持っています。
以前に南国の海でシュノーケリングをした経験があるのですが、そこでサンゴ礁から海底へと深く続く境界線をみました。視界の半分はサンゴ礁の美しい景色が広がり、そしてもう半分は一体どこまで深く続くか想像もできないような暗い海が広がっていました。その暗い海の先には何があるのだろうと思うだけで身震いするような怖さを感じました。これはきっと私の本能的なものなのだろうと思います。
そんな風に海に対して恐怖心を持つ私だけれど、作中での海の描写を見たらやっぱりまた海に行きたい、海に潜ってサンゴ礁と魚の群れの中を一緒に泳ぎたい、そんな気持ちにさせられました。
まだ行ったことのない小笠原諸島という場所に対しての興味も強く持つようになりました。
「古事記」への誘い
物語の途中、古事記にまつわるエピソードが出てきます。古事記に記された伝説と、地方に残る伝説とを重ねていくくだりがあるのですが、こんな一節があります。
「日本各地に伝わる話は、古事記に書かれた内容と似ている場合もあるのだ。それは、各土地土地で言い伝えられた出来事を集めて、古事記が編纂されたということでもあるのだろう。」
古事記の内容を考察しながら地方の伝説に隠された真相に迫っていく考察は非常に面白く、真に迫るものがありました。このエピソードは、これまで古事記に対してあまり関心を向けることがなかった私に、大きく興味を掻き立てるものでした。
命は巡る、ということを考える
この「命は巡る」というのは、この物語の根底を貫く大きなテーマとなっています。そのテーマを象徴するものとして様々なエピソードが作中に出て来ますが、その中でも避けて語ることはできないのが横山大観の「生々流転」です。
横山大観の生々流転
物語にこの作品が登場するのですが、私は恥ずかしながらこの物語を読むまで詳しく知りませんでした。
大観の水墨技法のすべてが注ぎ込まれていると言われる「生々流転」(せいせいるてん・重要文化財・東京国立近代美術館蔵)。
日本一長い画巻で、長さは40メートルを超えますが、縦も約55センチととても大きいもの。「大観の水墨表現の集大成」ともいわれる作品です。
<講談社BOOK倶楽部のサイトより引用>
初めて一般公開された日に関東大震災が起きたが、美術館職員が持ち出したおかげで奇跡的に被害を逃れ、今も観ることができるというのも象徴的なエピソードだと思います。
大気中の水蒸気からできた水滴が川をなし海へ注ぎ、やがて龍が現れ天に昇る。龍が去った後には吸い込まれるような渦と、そのあとの無。そんな水の一生を、長さ40mを超える長さで表現された壮大な作品です。
水の一生をなぞりながらも、あらゆる生命は巡りゆくということ、そしてその生命の素晴らしさについて水墨画で雄大に表現されています。
「港町の玉手箱」の中で大河のごとく大きく流れるこのテーマには、この「生々流転」の存在が不可欠だと感じました。そして、物語の中で「生々流転」が出てくる場面は、とても静かな描写ながらも心に強く残る名場面でした。
考古学という学問のこと
物語の中で、遺跡発掘の場面が描かれているところがあり、こんな一節がありました。
発掘をする。そこにはたしかに人々が生きた証がある。たとえそれが歴史を覆すようなものではなくても。教科書に載るようなものでなくても。
此処に人が居た。暮らしがあった。そんなことを感じられるのは、やっぱり素敵なことだと私には思えた。
この一節には、とても共感するものがあると感じました。
「地上の星」という歌について
歴史には語られない人たちに光を当てたものとして連想されるのは、NHKのプロジェクトXという番組です。そしてプロジェクトXというと、やっぱりこの歌のことを連想せずいはいられません。
もう15年以上も前のことになりますが、このプロジェクトXという番組のプロデューサーを務めていた今井彰さんの講演会があり、運よく参加させていただく機会がありました。そこで、「地上の星」のエピソードを番組プロデューサーから直接聞くことができました。
プロジェクトXは、歴史の教科書にはその名前が出てこないけれども戦後の日本を必死に支えてきた普通の人たちにスポットライトを当てた番組です。
今井彰さんは、以前から個人的に中島みゆきさんの猛烈なファンだったそうです。中島みゆきさんの歌には、どこか弱者視点があり、弱者に寄り添う心があると今井彰さんは感じており、そこに強い魅力を感じていました。
そしてプロジェクトXのテーマが決まった時、その主題歌を頼むのは中島みゆきさんしかいないと直感し、猛烈なアタックを仕掛けたそうです。(この猛烈アタックのエピソードもなかなかに面白かったのですが、これはまた別な機会にでも紹介したいと思います。)
こうして中島みゆきさんによりプロジェクトXのための歌「地上の星」が書き下ろされたのでした。
星は宇宙だけではなく、地上にも確かに存在している。見送られることもなく、人知れず何処かへと行ってしまった、無名の星たち。
「地上の星」の歌中でそんな無名の星たちに向けられた思いは、考古学とどことなく通じるものがあるような気がしています。
もしかしたら考古学というのは、地上の星たちを探す果てのない旅のようなものなのかもしれません。
空に星から成る星座があるように、地上にもたくさんの名もなき星たちから成る星座がある。考古学は、そんな古代の地上に繰り広げられたであろう名もなき星座の物語を憧れと敬意の念でもって紡いでいくような、そんな学問なのではないか。
物語を読みながら、そんなことを考えていました。ちょっと、ロマンチストに過ぎますかね(笑
*
著者の紹介文によれば、この物語は「自分の道を歩んでいく成長&恋愛ストーリー」なのですが、この物語から私が感じたこれらのことを思うとき、恋愛小説という枠ではとても収まりそうにありません。
物語全編を通して、この地上の様々な生命に向けてとても大きな敬意が示されています。
生きるということは決していいことばかりではないのだけれど、それらすべての出来事を生命の営みと捉え、そしてめぐる生命の尊さや素晴らしさを讃えたこの物語は、「生命の賛歌」と呼ぶにふさわしいのではないだろうか、私はそんな気がしています。
この星の地上で受け継がれる一つ一つの生命があり、そこに語り継がれる想いがある。
地球という星の一生から見たら、一つ一つの生き物の命はなんと短く儚いことか。
それでも今この瞬間を、人も猫も、あらゆる生命が精一杯生きている。
夏に全身全霊で鳴いている蝉のように。
そうして、きっとこれから先も生命は受け継がれる。
いつか地球という星の命の火が消えて、宇宙の塵へと還るその日まで。
港町の玉手箱という物語は、そんなことを感じさせてくれる、美しくて壮大な作品でした。
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
最近のコメント