明治から昭和にかけて活躍されていた物理学者、寺田寅彦という方をご存知でしょうか。
物理学者として先駆的な研究を行い、「寺田物理学」という言葉までできるぐらいに物理学での功績がありながら、自然科学や文学などにも造形が深く、随筆で科学と文学の融合を試みるという異才な随筆家でもあります。
そんな人が、「本」「読書」ということについて考察したら、一体どんなことを考えるのでしょう。
今回ご紹介するのは、物理学者であり随筆家でもある寺田寅彦さんの一編、「読書の今昔」です。
本の概要
「本とはいかなる商品か」という出だしから始まり、新聞の広告にある新刊・雑誌の考察、本と人の関わり、本の読み方、書店への思い等、本にまつわる様々なことについての著者の考えを綴った随筆。
昭和7年に書かれたものですが、読書の本質をついた内容。すでに乱読や乱読によるセレンディピティについての言及、未来の本や書店の姿を予言したような内容もあり、著者の洞察の深さ、鋭さがどれほど高いレベルのものだったかがよくわかる一冊です。
思考で散歩する
随筆ということで、文章のボリュームはさほど多くなく、30分ぐらいで読めてしまう内容の本です。
しかし、中で語られている内容は濃く、そして多岐に渡ります。
冒頭、「本当はいかなる商品か?」に始まり、人と本の関わり方、書物が希少だった頃の書物の意味、本の読み方、書店への思いあれこれ、記録としての本、本の本質、自分が本当に求める本との出会い、そして書物の将来へと内容が移り変わり、まるで思考の散歩のようです。
そして本の随所に、心に残る内容がありました。
無批判的な多読が人間の頭を空虚にするのは周知の事実である。
私はここを読んでドキッとしてしまいました。私は思考しながら読書ができているかな・・
少なくとも我々にとって書物は決して「商品」ではなかった。それは尊い師匠であり、懐かしい恋人であって、本屋はそれを我々に紹介してくれるだいじな仲介者であったわけである。
なんと情緒的な表現でしょう。書物への敬意と愛情が伝わってくるようです。
読む本の選択や、読書のしかたについて学生から質問を受けた時の答えを読んで驚きました。
自分でいちばん読みたいと思う本をその興味のつづく限り読む。そして嫌になったら途中でも構わず投げ出して、また次に読みたくなったものを読んだらいいでしょう。
色々な書物を遠慮なくかじる方がいいかもしれない。
これはまさに乱読です。
また読書によって得る知識を庭の花壇に草花の種を蒔くことにたとえて話しているくだりは、非常に印象に残ります。
天下の愚書でも売れる本はいつでも在庫があり、売れない本は滅多にない。
若いおそらく新参らしい店員に ある書物があるかと聞くと、ないと答える。みるとちゃんと眼前の棚にその本が収まっていることがある。そういう時に我々ははなはださびしい気持ちを味わう。
ここは当時の書店への愚痴のようですが、ここからつづく一節を読んでハッとします。
それで自然に起こる要求は、そういう商品としてでない書籍の供給所を国家政府で経営してたいがいの本がいつでもすぐに手に入れられるようにしてもらうことはできないかということである。
これは現代におけるAMAZONのような存在を渇望している内容です。
もしも寺田寅彦さんが現代を生きていたなら一体何を思うのか、興味深いなと思いました。
それにしても映画フィルムがだんだんに書物の領域を侵略して来ることは確かである。おそらく近い将来においていろいろのフィルムが書店の商品の一部となって出現する時が来るのではないか。
現在、もうそうなっているということに思い至り、著者の将来を洞察する力に感服しました。
読みたい本、読まなければならない本があまりに多い。みんな読むには一生がいくつあっても足りない。また、もしかみんな読んだら頭はからっぽになるであろう。
非常に意味深な一節で、妙に心に残っています。
ある天才生物学者があった。山を歩いていてすべって転んで尻もちをついた拍子に、一握りの草を掴んだと思ったら、その草はいまだかつて知られざる新種であった。そういうことが度々あったというのである。読書の上手な人にもどうもこれに類した不思議なことがありそうに思われる。
これは、読書からのセレンディピティそのものです。
先の乱読といい、昭和7年にすでに乱読のセレンディピティについて言及している人がいたのだと知って、私は衝撃を受けました。
古いことほど新しく、いちばん古いことが結局いちばん新しいような気がして来るのも、不思議である。
私は寺田寅彦さんの随筆を読んで、まさにそれを実感しました。
本の将来に思いをはせる場面で、新しい書物がどんどんと生まれて来ることに対して次のように続きます。
遠からず地殻は書物の荷重に耐えかねて破壊し、大地震を起こして復讐を企てるかもしれない。
これは寺田流の冗談ですが、その大地震(書籍の復讐)の後に、書籍そのものが一体どのような末路を辿るか、この内容についても非常に情緒深く、意味深でした。
そしてその後の一節でもって随筆は締めくくられていますが、このラスト一節がまた良いのです。
「読書とはどのような商品か」に始まり、様々な思考を巡らせて、最終的には地殻崩壊まで出てきた後に、とても清々しくそしてどこかホッとするような穏やかな一節でもって、思考の散歩は終わります。
私は今回の本を読書仲間のクライブさんからの紹介で手にとりましたが、あまりの面白さに驚愕しました。こんなにも情緒豊かな随筆を書かれる物理学者とは一体どんな人なのかと調べたら、すごい偉人で単に私が知らなかっただけでした。
他にもたくさんの随筆を書かれているので、順次読んでいきます。
また良い随筆があれば、ご紹介します。
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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