放射線に被曝すると、人は死ぬ。ほとんどすべての人は、それを知っていると思います。
けれども、被曝することで人の体の中に何が起こるのか、その恐ろしさの実体はどこにあるのかと質問されたら、どうでしょうか。私は、即答できる自信はありませんでした。私は、原子力のことや放射線の恐ろしさについて、なんとなく知っているようで、実際のところはあまりにも知識がありませんでした。
日本は、核兵器で攻撃を受けて被曝被害があった世界で唯一の国。その国に生きる者として、放射線の脅威についてもっと知っておきたい、そんな気持ちから、今回の本を手に取りました。
朽ちていった命 ー被曝治療83日間の記録ー NHK「東海村臨界事故」取材班
1999年9月、茨城県東海村の核燃料加工施設で発生した臨界(※)事故で、日本で初めて事故被曝によって亡くなった大内久さんの83日に渡る闘病の記録が詳細に記載されています。
※ 臨界:核分裂連鎖反応が持続して起こる状態のこと。核分裂反応が起きると、大量の中性子線が放出される。
被曝すると人の体に何が起こるのか
東海村の事故で、その時作業にあたっていた大内さんは放射線(中性子線)を浴びました。被曝した放射線の量は、Sv(シーベルト)という単位で表現されます。8Sv以上の放射線を浴びた場合の人間の致死率は100%だそうです。大内さんが浴びた放射線の量は、最終的に判定された数値は約20Svでした。
大量の放射線を浴びてしまった大内さんの体で何が起こったのか。本書では実際の治療での記録や写真などを使いながら、詳細にその内容が記録されています。
被曝した大内さんの体内では、その染色体に異変が起きていました。被曝した部分の染色体がバラバラに破壊されていたのです。染色体は、人体の設計図が入っています。これがバラバラに破壊されたことで、被曝した体は設計図を失い、その後は血液も含めて新しい細胞を作ることが出来なくなりました。
被曝直後に病院に搬送された時点では、大内さんの見た目の状態は健康な人とほとんど変わりがなく、致死量を大きく上回る放射線を被曝したということが信じられないぐらいだったそうです。けれども、体の中ではその時すでにすべての臓器はその運命が決められていました。その後の時間の経過とともに、徐々に内側から体が破壊されて行きました。
人の体は、細胞分裂を繰り返して新しい細胞へと入れ替わりながら、体の状態を維持しています。染色体が破壊されて新しい細胞を自分で作れないということの意味を考えるとき、その恐ろしさに体が震えます。本のタイトルにある通り、もうその命は朽ちていくしか道が残されていない、ということなのだと理解できるからです。
東海村の臨界事故で核分裂を起こしたウランの量は、わずか1000分の1グラムだったそうです。その僅かなウランが核分裂を起こして中性子線を発した一瞬のうちに、大内さんの体はもう決定的に運命付けられてしまったのでした。
東海村臨界事故から考えなければならないこと
原子力を扱うということ
本書では、最先端の医学設備、医学技術を駆使して大内さんを助けようとする医療関係者の方々の様子が詳細に記載されています。日本からだけでなく、世界から放射線被曝治療の専門医師がやってきて、大内さんを助けようと懸命に治療を続けました。
大内さんの治療チームで中心的役割を担っておられた東京大学医学部の前川教授は、大内さんの治療に際して、「海図のない航海」と表現されています。前例のない中で、どうすれば大内さんを助けることができるか、放射線治療の専門家が集結して、細心の注意を払いながら大内さんを助けるためにチーム全体が協力して治療にあたっていました。
それでも、大内さんの命は助かることがありませんでした。
最先端の医学を総動員したとしても、決定的に被曝してしまった人間の体を治すことはできない。破壊されてしまった染色体を元の状態に戻すことは、今の人類の知恵を集結させても、叶わない。
原子力を制御してその力を利用するということは、人智を超える力を扱うということなのだと理解しておかなければならない、そう強く感じました。
東海村の事故が起きた原因は、人為的な判断のミスが根底にあったことが詳細に本書に記述されています。正しい管理方法は作業マニュアルで標準化されていたのにも関わらず、作業の効率だけを優先させた、安易な発想による誤った方法で核燃料の加工を行っていたということに、「なぜ事故が起きる前にそれが指摘され、予防できなかったのか」と思わずにはいられませんでした。
原子力という大きなリスクを伴うものを扱う加工施設であれば、そのルールを守ることの重要性がもっともっと強く認識されていなければならないはずなのに。「なぜ」という思いが強く自分の中で渦巻きました。
実際に作業にあたっていた大内さんを含む作業メンバーは、誤った方法で作業することでどんなリスクがあるのかについて、おそらく何も教育をされていなかったのだと思いました。そうでなければ、自分が命を落とす可能性が高まる方法で作業をするはずがないからです。
原子力を扱うということがどういうことなのか、一歩間違うとどんな危険があるのか、これらを正確に知らないまま原子力に触れることは絶対に許されてはならないことなのだと思いました。
生きること、死ぬこと、そして「いのち」について
本書では、医師と一緒に大内さんや大内さんの家族の側で治療を支えた看護師さんたちの言葉もたくさん乗せられていました。入院した時は元気に笑って話していた大内さんが、次第に体を蝕まれ、やがて話すことができなくなり、自分の意思で動くことができなくなり、ゆっくりと死に至る、その死に至るプロセスが詳しく書かれています。それを実際に自分の体験として目の当たりにした看護師さんたちは、とても悩んでいました。
助からなかった大内さんを思うとき、あの治療の意味は何だったのか、やってきたことは正しかったのか、あれほどに辛い治療を頑張って続けたことは、果たして誰かの幸せに繋がっていたのか・・・
そして、大内さんご自身はどうしたかったのか。どんなに苦しくても、辛い治療を最後まで続けたかったのか。それとも、苦しい治療を続けるよりも少しでも家族と触れ合える時間を大切にして、楽しい思い出だけを最後に残して旅立つほうが良かったのか。それは、大内さんご自身にしか分からない。もう大内さんはいない今、その問いに答えることができる人はいない・・・
もう助かる見込みのない患者さんの「いのち」をどう考えたらいいのか、大内さんの治療の経験を通じて、看護師さんたちの中に様々な思いがありました。そして、その迷いや自分を許せないと思う気持ち、罪の気持ちを今も抱えて仕事をされていました。
もう助からないとわかったとき、どう生きるのか、どう死ぬのか。「死ぬのも生きるのと同じように、その人が自分の死に方を決められたらいいのに。最後までその人の意志が尊重されるような、そういう最期を。」看護師だった柴田さんの言葉は、心に残りました。
大内さんの治療の記録から、「いのち」について考えることの大切さを教えてもらいました。
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大内さんが残したメッセージは何だったのかと思うことがありました。大内さんは大好きな家族ともっと一緒に生きたかった、それなのに、どうしてこんなことに?どうして、私が?大内さんの思いは、きっとそれだけだったろうと思います。もし私が大内さんと同じ立場だったら、きっとそう思うと感じるから。
原子力という大きな力の扱い方については、様々な考え方があります。地球環境のことも含めて、様々な要因が複雑に絡み合っていることだから、単純に「いい、悪い」で両断することができない。けれども、放射線被曝の恐ろしさを正しく知ることの大切さは、誰にとっても変わることはないでしょう。
東海村臨界事故を通して、今後どうすべきなのかを考えることはたくさんあります。亡くなった方はもう何も主張することができない、だから今生き残っている私たちが、そのことに目をそらさずに、考え続けていかなければならないと思います。
以上です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
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