縁があって、「医療」をキーワードに各業界で活躍している方々が集まる月例の勉強会に参加させてもらっています。普通に生活していたらなかなか出会えない様な、それぞれの業界の最先端で活躍する方々(NHKのプロフェッショナルという番組に出てきそうな人たちばかり)の集まりで、そこで交わされるやりとりも超アカデミック。
そんな集まりに私が参加させていただけること自体が奇跡的なことですが、この会に参加するたびにいかに自分が無知であるかを痛いぐらいに感じるお陰で、いい具合に刺激をもらえるので、私にとっては本当に貴重な学びの機会になっています。
先日の会は、医療/福祉施設の建築設計をされている方からのプレゼンテーションでした。その中で、「ああ、これは仕事というものを考える上で、何か普遍的な要素があるなあ」と感じたことがあったので、忘れてしまわない様に書き留めておこうと思います。
人に寄り添う仕事
医療・福祉の建築設計という仕事について、「たてものづくり」という表現をされていました。似た言葉に「ものづくり」という言葉があって、「たてものづくり」と「ものづくり」の違いについても意識した表現となっていました。
「たてものづくり」の特徴として、ただ建築物を作るだけではなく、作った後にその中に人が入り、人とともに時間が流れる、ということを強く意識されていました。そのため、「たてものづくり」においては建物の中に入る人にとってどんな時間が流れていくかをしっかりイメージして、建築物だけでなく流れる時間もデザインする、そんな空間の作り込みが大切だと強調されました。例えば病院の建築において考えるべきは、そこで働く人と、そこに訪れる患者さんに流れる時間でした。
働く人にどの様な時間が流れるかを考えるには、医療現場の業務の流れを理解していなければなりません。実際の医療建築の事例を挙げて説明がありましたが、それは、すでにある業務フローに合う形の建物をデザインをするというよりも、むしろ効率的な業務フローはどうあるべきかを考えながら、実務を効率的にするための建物をデザインするといった風で、まるで自分自身が医療現場で働いてるかの様に実務の流れを細かいところまで熟知しておられたことに驚きました。
病院にやってきた患者さんに対しては、いかにして患者さんの不安な気持ちを和らげることができるかを考え抜かれたデザインとなっていました。受付をしてから診察室や検査室に行くまでの動線を考え、案内表示を見なくても、次はどこに行かなければならないかを考えなくても迷わずに目的の場所に行ける様に、様々な患者さんへの気配りが数値化・具体化されて、そこかしこに散りばめられていました。(思わず、病気になったら私もこんな病院に行きたい!と思ってしまいました)
作られた建物の中で働く人、病気で苦しみながらその建物を訪れる患者さん、その両方の人たちに流れる時間が最良のものである様に作り込まれた建物は、本当に素晴らしかったです。
人に寄り添った仕事をすることは、周りの人の共感を得ることができるんだなあということを自分自身の共感でもって気づかせて頂くことができました。
その方の信条として「五感に響くしつらえ」というものが一貫してある、と言われていたのが印象的でした。
「役割」が人に与える影響のこと
認知症の方向けの、ある福祉施設を設計した時のエピソードがありました。
その施設では、エントランスガーデンが敷地内に設けられており、地主さんの意向でエントランスガーデンの中央部には大きな神像(名前をメモできなかったのですが、見た目は7福神の福禄寿の様な御姿でした)が祀られることになりました。
その神像の周囲はちょっとした庭園風になっていて、花や植木などがたくさん植わっていてとても心の落ち着く空間となっていました。施設がオープンしてからしばらく経った頃、その神像の周囲で一つの変化が起こりました。
施設に入居している認知症の方が、周囲の植栽への水やりや除草作業を自発的にやり出す様になったのです。それなりに広さがあったので、特定の一人の人がやるのではなく、ローテーションで持ち回りでやる様になったそうです。「御利益で認知症が良くなるんじゃない?」と冗談めかしていたら、なんとそのメンバーの中から本当に認知症の症状が快方に向かい、しまいには施設を退去する人まで出始めるという、まるで嘘の様な本当の話があったそうです。
まさに瓢箪から駒のエピソードですが、「役割を与えられることで認知症が改善される可能性につながる」という非常に興味深い結果となっていました。
このエピソードには、考えさせられるところが多いにありました。その作業は施設の職員から指示されて始まったのではなく、自分たちで自発的に行っていたという点も大きく関係がありそうです。自分の役割を意識し、それに対する責任感や「やりたい」という気持ちが本人のやりがいとなって、それがなんらか脳に良い効果をもたらしたと考えられます。
多くの仕事は一人で完結するものではなく複数の人たちと連携して行います。その中で、漠然と与えられた仕事をするのではなく、一人一人が自分の役割を理解し、その役割を果たそうとする意思を持って動くことで、本人への良い影響があり、その結果として集団としての結果も良い方向へと向かう様な気がします。
組織の管理者として仕事をする時、このエピソードのことは忘れない様にしようと思いました。
志の火種を探す
複数の人と連携して仕事をする時、ほとんどの場合、どこかで意見の衝突が生まれます。お互いが真剣に仕事に向き合っていればいるほど、その頻度は高くなると思います。医療や福祉の現場では人の命が預けられるため、真剣度合いも必然的に高まります。そのため建築設計においても医療従事者と建築設計者の間で意見が食い違う時もあるだろうと思い、その様な場合にどう折り合いをつけることができると考えておられるのか、質問をしてみました。
私自身の経験からで言えば、そういったケースでは多くの場合、「どちらかが折れる」「諦める」ことで決着がつくことが多いと感じていました。会社組織の様に組織の中で意思決定権がはっきりしている場合、より強い決定権を持つ人の意見の方が強くなります。
医療建築においても、オーナーの意思が最も優先されるであろうと思いましたので、どうしてもオーナーの意見に合わせるということになってしまいやしないだろうかと思ったのですが、その方の回答はちょっと違っていました。
実際、設計の内容について建築依頼者との意見衝突はよくあるそうですが、そんな時はお互いの目指そうとする姿を見つめ直し、相手がどういう方向に向かいたいと考えているかをよく観察するそうです。そうすることで、一見して意見が食い違っている様に見えても、目指そうとする大きなベクトルの向きがあっていれば、必ず自分の思いとの接点を見つけることができる、必ず思いが共通するところを見つけられるはずだと信じる様にしている、という回答でした。
そんな内容のことをその方が「相手の志の火種を探す」という表現をされたこと、そして火種をたどることで思いを共有できると信じる様にしているという姿勢が、とても印象的でした。
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仕事とは社会との繋がりを持つ一つの形であり、仕事の中で社会に向けて価値を提供することで、その対価として報酬を頂く、それが仕事というものの基本的な姿だと私は考えています。
自分はどんな価値を社会に提供できるだろうか、どうすれば今よりもっと価値を高めることができるだろうかと考え続けることは、とても大切です。勉強会での内容から、今後の自分自身の仕事の価値を高めるために大切なヒントをたくさん発見することができました。
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
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