「自分は絵心がない、でも描けるようになりたい」と思っている人間が、練習することでどこまでの絵を描けるようになるのか?
私が今スケッチをしているのは、そんな実験的な取り組みです。
あと、絵が自分の思っているように描けたら、それだけでも自分の人生はもっと豊かになりそうな気がしているから、ということもあります。
藤原和博さんが著書「35歳の教科書」で「まずは100回やると決めて取り組むと、物事の本質が掴みやすい」と書かれていたので、それに倣ってまずは100スケッチをやりきる、ということを当初の目標として取り組んでいて、その半分過ぎぐらいまできました。
自分が描いたスケッチを人に見てもらっているうちに、次のようなことが往々にしてあることに気がつきました。
・どちらかというと、私の周りには「自分には画才がない」と思っている人が多い
・自分で描いてみて「ダメだこりゃ」と思った絵でも、「この絵、いいですね」と思ってくださる方がいる
自分は描けないと思っている人の役に立てるかもしれない
画才がないと思っているのは私も同じで、それがこの取り組みのスタート地点でもあるので、やっぱりこの取り組みはそれなりに人の役に立つのではないかと感じています。
絵を描きたいと思っている人が、遠い将来、もしかしたら私の絵を見て「自分も描けるようになるかもしれない」と感じてもらえるかもしれません。
そんな時が来ればいいなぁと思いながら、今後も続ける意欲を保っています。
諦めたら、そこで試合終了
そして一番の私の驚きは、私自身が「全くうまく描けなかった」と感じた絵でも、それを見て「いいな」と思ってくださる人がいる、ということです。
スケッチをしていて、思った以上に難しい内容だったと描きはじめてからわかることも多いのですが、全然思った通りに描けなかったりして自分の画才の乏しさを恨めしく思ったりする時なんかは、途中で筆を投げ出したくなります。
ところが、
私がスケッチをしていることに興味を持ってくださって、スケッチブックを見たいと言われてお見せすることも時々あるのですけれど、そんな時に私が途中で投げ出したくなった苦い記憶の絵を見て「私は、この絵が好きですね」と言ってくださることも意外と多くあるのです。
そこから得た大きな気づきは、
自分一人で勝手にダメだと思って辞めてしまうのは、自分で自分の可能性を閉じてしまうこと
ということです。
そういえばスラムダンクというバスケットボールを題材にした漫画の中で、「諦めたら、そこで試合終了ですよ」という名セリフがありました。
これは、試合で苦戦を強いられている主人公に向けて顧問の先生が投げかける言葉なんですが、まさにそういうことなんだな、という感じです。
あと、私はいつも社員たちに「評価というものは、そもそも自分以外の人からされるものなんですよ」と言っている割に、スケッチのことについては全然自分でそう思えていなかったのも、まだまだ修行が足りないと思わされたことでもありました。
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いつも、私の拙い絵を見て褒めてくださる方、私の絵を「楽しみにしています」と言ってくださる方の優しさに支えてもらいながらスケッチを描いています。本当にありがとうございます。
今からもまだまだスケッチを続けていくので、絵が下手だけど上手くなりたいと思っている人間がどこまでうまく描けるようになるか、ぜひ面白がって見てもらえたら幸いです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
これからも宜しくお願いします。
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