今回紹介する本は、ドイツの童話作家ミヒャエル・エンデの「モモ」です。
とても有名な物語なので、知っている方も多いかも知れませんね。
私は小学生の時に一度読んだ本で「面白かった」という記憶だけあったのですが、SNSを通して他の方が読まれているのを見て「そういえばどんな話だったかな」と思い出そうと読みかけたところで、NHKの100分de名著にも取り上げられ、意図せず旬な本となった一冊。
改めて読むと、小学生当時は感じることのできなかった色々なことを発見でき、改めて素晴らしい作品だと感動したのでぜひ紹介したいと思います。
本の概要とあらすじ
人間から時間を盗み人を操る時間どろぼうから、盗まれた時間を取り戻してくれた女の子モモの不思議な物語。時間の意味や豊かさ、美しさを教えてくれるメルヘン・ロマン。
ドイツの童話作家、ミヒャエル・エンデにより1973年に発行されドイツ児童文学賞を受賞、各国で翻訳され、映画化や舞台化もされています。2020年8月にはNHKの「100分de名著」でも取り上げられました。
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モモは大きな都会の南のはずれにある小さな円形劇場の廃墟に住んでいる、いわゆる浮浪児です。モモの周りに住む人たちは大人も子供もモモのことが大好きでした。それはモモの不思議な力が関係していました。
モモは相手の話を聞くことで相手の心を開き、相手の本来の自分自身を取り戻させることができる不思議な力を持っていたのです。そして、それが街のみんなの心を幸せにすることにとても役立っていたのです。街のみんなは、モモがずっとこの街にいて欲しいと思っていました。
誰か困ったり悩んだりしている人がいたら、みんな口を揃えて言います。
「モモのところに行ってごらん!」
ところがいつからか、その街全体にじわじわと暗い影が忍び寄ってきます。それは音もなく忍び寄り、日1日と街の深いところまで入り込んで来ます。そして街の至る所で灰色の男たちが現れ始めます。けれど灰色の男たちを街のあちこちで見かけても誰も気がつきません。灰色の男たちは、人目を引かない方法を心得ていたためでした。
灰色の男たちの正体は、時間どろぼうでした。人の心の隙間につけ込み、ことば巧みに誘導してその人の時間を奪っていくのです。時間を奪われた人たちは、日々の中での気持ちのゆとりをなくしてしまうため、非常にギスギスとした人間に変わってしまいます。
いつもモモの周りに集まっていた人たちも、気がつけばいつの間にかモモのところにやってこなくなってしまいました。そして遂にモモのところにも、灰色の男たちの手が伸びます。
しかしモモには、不思議な能力のおかげで時間を盗むことができず、そればかりか、うっかり心を許してしまった時間どろぼうは組織の秘密をモモに話してしまうのです。これが灰色の男たちの組織に発覚し、モモは灰色の男たちから「秘密を知る危険な人物」として追われる身となってしまいます。
灰色の男たちの激しい追跡からの逃亡、未来を予知する不思議なカメ、モモを守り時間を取り戻す方法を教えてくれるマイスター・ホラとの出会い、人の時間の意味を知るモモ、盗まれた時間を取り戻すためのモモのたった一人の作戦が決まり、物語はクライマックスへ・・・。
本書の見どころ
大人になって改めて本作品を読んで素晴らしいと感じた点について紹介します。
美しい世界描写
作中ではハッキリと「いつの時代のどこ」という定義はされていませんが、描写や時折出てくる挿絵から、どことなくイタリアのかつては大都市だった街のようなムードがあります。その古い都市の描写は素朴で暖かく、歴史を感じさせ、そしてそこに優しい人たちが暮らす、とても魅力のある街です。
その街で起こる様々なことがとても表情豊かに表現されています。
優しい人たちの穏やかで暖かい暮らし、灰色の男たちが少しずつ街を侵食していく不気味さと恐ろしさ、モモがマイスター・ホラに導かれて訪れる『時間の泉』での心が浄化されるような荘厳さ、時間が戻った後の人たちのホッとした感じ、それぞれ文章を読んでいるのにまるで絵本を読んでいるかのような錯覚を覚える、素晴らしい情景描写もこの本の魅力の一つです。
スリリングでドラマチックな展開
モモが灰色の男たちから時間を取り戻す場面は、本当にスリリングで物語の大きな見せ場の一つなっています。灰色の男たちは盗んだ時間をどこに隠しているのか、そこからどうやって時間を取り戻すか、モモと灰色の男たちの手に汗握る攻防は、まるで探偵小説のようです。
各章の味わいのあるタイトル
ちょっとマニアックですが、各章のタイトルに趣があって面白い。いくつか紹介します。
めずらしい性質とめずらしくもないケンカ
暴風雨ごっこと、ほんものの夕立
おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語
はげしい追跡と、のんびりした逃亡
大きな不安と、もっと大きな勇気
妙に心に残る感じがしませんか。
ミヒャエル・エンデ本人による挿絵
本の随所に登場する挿絵は、著者ミヒャエル・エンデ本人によるものです。
本当はエンデ氏は挿絵をモーリス・センダックという有名な絵本作家(有名な著書『かいじゅうたちのいるところ』)に描いて欲しくて依頼をしたのですが、なんと断られてしまったそうです。
それで仕方なく(!)自分で描いたとのことなのですが、挿絵は読み手が物語の風景を想像する上でとても大きな役割を果たすので、私個人的にはエンデ氏が自分で描くことで一層オリジナリティが増し、また表現したい世界観や雰囲気を存分に表現できたように感じています。改めて本の挿絵の重要さを感じさせてくれるエピソードです。
大きな余韻を残す「あとがき」
巻末に「作者のみじかいあとがき」と題して、あとがきがあります。(ここで、あえて『みじかい』と入れるところがまた良い!)
この「作者のみじかいあとがき」は通常のあとがきとは大きく趣が違っていて、私自身はこのあとがきもモモという作品の重要な一部分だと感じています。
モモという作品には、「時間」という大きなテーマがあるのですが、この「作者のみじかいあとがき」があることで、そのテーマは「時空」を超えます。
モモの物語を読んだ後に「作者のみじかいあとがき」を読むことで感じる衝撃を、ぜひ感じてみて欲しいと思います。
本を読んで思うこと
モモの物語の大きなテーマは「時間」です。
物語に登場する街の人々は、時間どろぼうに自分の時間を盗まれてしまうのですが、そのことによって「心豊かに生きる」ということを奪われてしまいます。
将来の良い暮らしのために、今の時間を必死で倹約し、ちょとした人とのつながりや触れ合いを無駄なものと排除してまるで何かに追われるかのようにせわしなく生きるようになってしまうのです。
作中で登場するマイスター・ホラが次のようなことを話します。
光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。
物語では、モモが時間を取り返してくれたおかげで街のみんなも以前のように心豊かな生活を取り戻すことができました。
では、現代に生きる私たちはどうでしょうか。
私は気をぬくとすぐに「時間がない」、「時間が足りない」というようなことを口に出してしまうところがあります。誰だって忙しいのが普通です。
そのくせ、目的もなくただなんとなくSNSを眺めていてハッと気がつくと驚くぐらい時間が経過してしまっている時があります。
これではまるで時間どろぼうに時間を盗まれてしまっているかのようですね。
どうやら現実世界の時間どろぼうは、それぞれの人の内面にいるようです。
人間の一人一人に与えられる時間は、無限ではなく、限りがある。そんな当たり前のことを、モモの物語は改めて知らせてくれます。
外を歩いていて「今日はいい天気で気持ちがいいなあ」と感じたり、道端に咲いている小さい花を見つけて季節を感じたり、周りの人とのちょっとした言葉の掛け合いを通じてお互いに心を通わせたり、そんな日常の何気ないことを一つ一つ丁寧に感じることの大切さを、この物語は教えてくれます。
この記事を読んでくださっているあなたがもし「時間がない」と感じていたら、もしかしたらあなたも気づかないうちにあなた自身の中に住んでいる時間どろぼうに時間を盗まれてしまっているかも知れません。
「モモのところに行ってごらん!」
きっとそんなあなたに、モモの物語の街の優しい人は声をかけてくれます。
今からの人生に与えられた時間を、自分の中に住んでいる時間どろぼうから守り、大切に使うことができるようになりたいものですね。
以上です。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
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